2008/11/26

手渡すもの

昨日、バスを待っていたら、いきなり心臓がドキッと鳴った。

並んでいる列の23人前に杖を突いたおじいちゃんがいた。

ハンチングをかぶった横顔が父にそっくりだった。

といったって、父はこの4月に亡くなっており、終末期には経過を知らない人が見たら誰だかわからないほど変わり果てていた。

だから、似ているといっても、亡くなる相当前の、まだ杖をついてでもポトポト歩けていたころの父に酷似していたということ。

つまり、父に似ている人を目にしたということより、「ドキッとした」という内側の反応に自ら驚いたのだ。

いくら似ていたとはいえ、父であるはずがないことはわかりきっているわけで、にもかかわらずなぜ反応したのかが自己解釈できなかった。

もっと正確に言えば、なぜ反応したかは承知していて、むしろその反応構造をいつまでも克服できずにいる事実に打ちのめされたのだ。

亡くなった時、それ以前のまだ父がシャキシャキして頭もはっきりしているうちに「バカヤロウ」のひとつも言ってやればよかったと後悔したが、実は例えきちんと対決姿勢を示せたとして、問題の解決はそこにあるのではない、とも今は思う。

「腹たってます」「傷つきました」アピールなどしたところで、それで何かが好転するようなら、問題の種は巨大に育ちはしなかったのだから。

要は自然治癒力に加うるに、正確な問題把握による正しい認識、それによる回復力の増強をどうなし得たかなのだ。そしてそれは、そこそこ大丈夫に果たせたと自覚していた。

それを以って、もうひとりの親・母親と接していくと決意を固めてもいたのだ。

気持ちとはうらはらに「ドキッ」と肉体・心臓が反応した。

つくづく「まだヤワなのね」と思い返した。

望むべくもないものを、未だに心底で求めている我からに困惑する。

「ちっとも卒業できとらんな~」と。

世代伝播の連鎖を断ち切る役を負うていると思えば思うほどに、荷の大きさに改めて膝が震える心地なのだ。

自身の回復はもとより、後に続く、何ものにも代え難い「愛するものたち」に手渡すものの中には、なんとかして善きもので充たしたいと願えばこそ…

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2008/11/06

バカヤロウ!

母から電話があった。

「話の続きをしなくては」

心中穏やかならず、ではあったが「いいけど」と返した。

なんやかや電話で話すうちに、結局のところ

「バカヤロウ」で終わった。

当分、ほっとくことにする。

弁護士と話しをした。

母が「お願いしている」弁護士。

ちょっと話しは長くなるよ。

もう、何から話せばいいやらな~

1.母はなぜ弁護士を「お願いしている」か?

母は三鷹市を相手にスッタモンダやっているんである。私が中学3年生のころ、今の実家の土地を購入した。当時、一帯は畑地だった。

見る間に畑地は細切れに切り売りされていって、各戸の敷地の間にはほそーいネコ道が通るばかりになった。

実家は東南の角地なんだが東側のネコ道を実家が買い上げる話もあるにはあったが、実行されないまま長くもとの所有者(畑地の持ち主)名義のままだった。

いくばくか経ち、ネコ道買収話を具体化させようと思いたったんだが、フタを開けたら「公道」として登記されていた。市が買い上げたんだか、地主が提供したんだかは不明。

父母は「買収の約束をしていた」といって役所に談判したが、ものわかれになった。

2年ほど前にその話を蒸し返し、母は弁護士とともに対三鷹市との交渉を再開した。

そして、この度、市の条令?条例?が発布された。

南側は公道と言っても、ネコ道同然で、最も小型の消防車さえ進入不可能。消防法の観点から幅員拡張する必要がある。

よって公道に面した各戸は南側の土地1.5mを公道に提供せよ、というもの。

それについては、母は弁護士には相談せず、さっさと南側をひっこめた。

ブロック塀を壊して、1.5m内側に新たに塀をこさえたんである。

で、母の言い分。

「言うとおり引っ込めたんだから、代わりに東側の道をよこせ」と。

「引っ込める前なら、まだ食い込める余地も数パーセントは残されてたんですがね~」

昔のイキサツはともかく、「公道」として登記されてしまっている以上、払い下げ、売却は、どうみても不可能。母の都合のよい「バーター」など、全く了見違い。という見解は私と弁護士とでは一致していた。

単に「バカじゃね」な話しじゃないの!

で、である。

2.なぜ私が弁護士と話したか?

4月に父が亡くなって以来、様々に事務処理は済ませたのだが、1件し残したことがある。遺産相続。それに関しても母は同弁護士に処理方をお願いしている。

1ヶ月ほど前に事務所に出かけて話しをし、基本ラインについて相互確認ができた。

「法廷どおりの相続とする」と。

「一旦全てを母が相続する」は世間常識から考えてあり得ることではあるが、わが母に限っては非常にリスキーなのだ。

理由は次のとおり。

1)母は「大義のために」といって○○党に尊い?献金1000万円!をしたことがある。

2)父の遺産で「なんちゃら○○研究所?」だたら「財団」だたらを設立する、と言ったことがある。

3)昨年のある時期、1ヶ月の間に電話会社を3回変えた。

4)事務処理、管理能力が低下している。むしろない。

3)については既に母の記憶には残ってもいない。4)については全くその自覚ナシ。

1)母は「日中友好に貢献した」と自負している。「胡錦涛主席にも会ってきた」と胸を張る。なんのことはない、そりゃあ一個人でそれだけ献金したのだもの、なんちゃら交流訪団の200人から上参加の末席に加わるぐらいのことはあったのだ。○○党だって、そのぐらいのことをしなくちゃ、言い訳も格好もつかないだろうて。

2)ときたひにゃあ、お話にもならない。「そんなこと!」と反対したね。「あんたがもらってもただの金」など言いやがるので、当然最後は「バカヤロウ!」でもの別れ。

以上から、母に全て相続させたらどんな事態が起こり得るかは想像に難くない。フタを開けたらスッカラカンってなこと。

3.なぜフタを開けたらスッカラカンだといけないのか?

1)母の面倒を見るのは結局のところ私なんである。

2)面倒を見るには多額が必要になる。

3)できることなら家計に負担かけずに費用は捻出したい。

ああね~

「面倒みるなんて、見られる方のことなんか考えてもいないくせに。都合のいいようにやっつけろ、ぐらいしか思ってないだろう」

とくるからね~

結局、この件も「バカヤロウ」ではい一丁あがり!

言っときますが、常に先に「バカヤロウ」は私にはあらず、っすから。

で、ようやく本題。

弁護士のすすめにより、ともかくも相続の話をしに母のところへ行ったのが1ヶ月ほど前。

開けっ放しの玄関を入ったら、母は寝ていて、起こしたら「誰?」って顔してる!私が行くから、と言ったことさえ記憶が定かではないらしい。

のは、ま、いいとして(よかないけどさ)

どうにも、フツウの話しがフツウに進まない。とんでもないところに話しがリンクする。

母が三鷹市とスッタモンダしている東側の道の件を賛同して、働きかけの行動をともにしなければ「あんたには相続の資格はない!」と言い放つんである。

どんなに順序立てて客観的に話しを進めようとしても、全く意に介さず、ネチネチ同じ繰り言を言う母に、ほとほとウンザリした。

「そんじゃ、もう帰るわ」

「なぜ?」

「埒明かないし」

「なぜ賛同できない」

「だから~」

どこまでも、回るんである。

「ま、とにかく、今日は帰る」

と言ったら

「もう来るなッ!2度と来るなッ!!」

来た、来た、来た~!!!

機を捉えるに敏なれ!ださ。ごく冷静に罵詈に雑言で返答。

「死んじまえッ!」

これで当分「娘の顔など見たくもない」となり、話しは保留されると期待した。

弁護士との話し合いで、母がどうしても言い張ったら、「ほっといて相続しなければいいんです」と結論を得ていたから。

浅はかな期待は虚しくも破れ、罵詈の舌の根も乾かぬうちに「喪中のはがき」をなんとかしろ、と連絡してくるは、「せんだっての話の続きを」と言い出すは…

もうね、お手上げ!

まあさ、もう1回ぐらいは虚しくとも、罵詈雑言キャッチボールはするとして、当分は、「顔も見たくない」はこっちのセリフなんですけどね。

ああ、メンドクセ。

ショガナイ、ショガナイ。

何?だから…

「話しは長くなるよ」って言ったっしょ。



「まりりんの日々修行」更新中!

115

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佐瀬 稔『狼は帰らず_アルピニスト森田 勝の生と死』【中公文庫】

114

朝の通勤電車中、読了。

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2008/10/30

罵詈雑言

母から電話があった。

「喪中のはがき、ついでにやってくれないか」という。
ほんの、10枚ほどだから、ついでに、など分けわからん!

毎年、我が家は300枚から上、賀状を出す。

当然、まあ、11月中には「喪中につき年末年始のごあいさつは…」を出すことになるのだが、連名で母の名を連ねるのは道理が通らない。

10枚ぐらいなら、なおのこと手書きでいいから自分でやって」

今までは父の成人後見人でもあったわけだから、表向きのことは全て処理してきたが、もう母を甘やかすことは止めにした。

寺からやれ「草むしり」はどうずるだ「墓地管理費」がどうだいってきたのも、「以降は母の方へ」と回した。

当然、母ができなければ私が対応せざるを得ないのだが、母がシャッポを脱ぐところまで行かないと、やりにくくて仕方ない。
都合のいいことは自己主張し、都合が悪ければ人に頼るでは、助ける方も埒が明かない。

実は事務的、現実対応という点では、母はとっくに処理能力の限界を超えている。にもかかわらず本人にその自覚がないという最悪状態なのだ。

どうしても「ああ、もう身を委ねるより術なし」の自覚を持ってもらわねばならない。
手ごわい相手に、きっと手綱を少しも緩めはしない、という私の決意を知ってか知らずか…

何かについて話し合おうとすると、挙句の果てに「罵詈雑言」のプロセスは当分、続きそう。

しょうがない、しょうがない。
順番、順番!




「まりりんの日々修行」更新中!
1027
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「勝手に読書録」に
佐瀬 稔『長谷川恒男・虚空の登攀者』【中公文庫】
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UPしてます。

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2008/07/16

なんだかなあ~

715日、父の初盆で寺に出かけた。

最寄の駅は武蔵五日市線「武蔵引田」。

母と立川で待ち合わせた。

のに、母は立川で待っていなかった。まあ、ね~、ワタシが伝えた電車より1本遅れたのが、いけないっちゃ、いけないんだけどさー。

「今日だってこと、忘れちゃったかな~」

「寝坊したかな~」

「先に行っちゃたかな~」

全く、気がもめるったら…

迷いながら1、2本電車を見送った。

母は携帯を持っていないから、連絡のとりようもない。12時からの約束に遅れてもなんだから、意を決して寺に向かった。

武蔵引田は、それこそ何にもない駅で、むき出しのホームがポツンとあるだけ。1駅手前の「秋川」で降りてタクシーに乗り、途中の花屋で墓に手向ける花を買った。

山門をくぐったら、そこに母がいた。ほっとした。

のもつかの間

「法要、もう終わっちゃったよ」

な、な、なんでッ!?

まだ約束の時間まで30分もあるじゃん!

「だって、来ないのかと思って」

ってねー、あり得ね~

これからは同一行動をとるべき時は、実家に前泊だな~

なんだか、とってもくたびれた。

しょーがね、しょうがね!




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715

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2008/06/10

野末の石なれり!

8日の日曜日、父の49日・納骨を終えた。

特に感慨はない。

父は長野県の出身で、そもそも墓はそっちにあったのを、生前にあきる野に移していた。墓地は寺の敷地内の高台にあり、すぐ目の前にサマーランドの観覧車が見下ろせる。

墓石に「永遠の今」と彫ってある。

おかしいのは、長野の寺とあきる野の寺の宗派が違っている。宗派などにこだわるわけではないが、耳慣れないお経と見慣れない所作に、なぜか神妙になれない。

母の説明によると、父の恩師の墓所と近い寺を選んだのだとか。

寺選びや墓ぐらいスタンダードでいいのに、とは思う。

「私の後に入る人が誰もいないのは寂しいな~」

独り娘でヨメにいってしまったアタシに母が言う。

メンドクサイから応えない。

ちょい前までは「あの墓には入らない」「飛行機で空から骨を撒いちゃって」などほざいてたくせにさ。内心「チ」と舌打ちする。

今のところ、死んだ先に入る墓のことなどアタシは全く頓着していない。逝っちまった時の状況だって、どうなってるかしれたもんじゃないし、遺こった人らで好きにするがいいや、な感じ。

「死して野末の石となる」と心得おり。

実家の近くのすし屋で食事をした。

陽の高いうちの酒は効くというが、そうらしい。といっても、すし屋に着いたのは、もう夕方も5時に近かったのだが。まだ「飲み」時間には幾分早いぐらい?

朝から胃に何も入れてなかったかもしれないが、たらふく食べてジョッキ3杯のビールでやられた。

家に着いたらヘロヘロでバタンと寝てしまった。10時過ぎに目が覚めた。し残した仕事をやっつけたら、すっかり覚醒してしまって、どもならん。

大阪から戻っていたダンサー・3男に頼まれていたポスターデザインを始めた。帰宅後練習にでかけていた3男が2時過ぎに帰ってきた。

「あれ、こう直して」「ここは、こう」「あそこは、どう」「色がなんやら」「イラストを代えて」…etcにつき合ってたら朝になった。

まったく、もーッではあったが、案外楽しかった。

まだヨメもらってない3男。

アタシの最後の「男」だからね~



「まりりんの日々修行」更新されてます。

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順調~!!!


「勝手にアウトドア」に

クライミング講習@三ツ峠 その3

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2008/05/11

憂鬱…

東京ガス、東京電力、年金…。

ゾクゾク、ワタシ宛に郵便物が届き始めた。

3日の日、父の入院費を清算しに病院に出向き、ホームに私物を引き取りに行き、実家に立ち寄った。山になっている紙ごみの中から公共料金の引き落とし通知書を引っ張り出して、もって帰ってきた。

7日は1日、自分のことで出て回り、8日の午前中も病院へ行った。

ようやく9日の午前中、鉢巻を締めて電話をしまくった。通知書を見ながら名義主死亡につき、名義変更と引き落とし口座変更の手続きのための必要書類の送付方を依頼した。法定後見人の解除に関しては家庭裁判所、父の年金に関しては当該機関へ連絡した。

B5三つ折サイズのワタシの手帳1ページにギッシリ並んだ「処理すべき事項」のほぼ全てに「連絡スミ」のチェックが入った。

送られてくる書類がそろったら、必要事項を記入返送すればよいものはそれでよしとして、母と当該の金融機関にでかけて変更をかけたりしなければならないものもある。

電話の名義変更に関しては、母の戸籍謄本が必要。つまり、それによって母の現住所と父との続柄、父の除籍が証明されるというわけだ。なかなかメンドクサイ。

年金に関しては母は遺族年金を受け取ることになり、そのためにはやはり母の所得証明や父の除籍証明などが必要になる。

効率よくやっつけても、都合まる3日は足を使って動かなければならないと踏んだ。

なんとか49日までにはそのへんを片づけてしまいたい。

最後に残る1、2項目は少なからず時間と労力を要するだろう。なんだかんだで、全てが片付くのに年内いっぱい、かかるかもしれない。

やれやれ、憂鬱なことよ。

手帳に書き込んだ項目の全てに「処理スミ」のチェックが入る頃には、アタシの頭の中のグチャグチャはいくらか整理がついているんだろうか?




「まりりんの日々修行」更新されています。

http://blog.livedoor.jp/asobist/archives/2008-05.html#20080510

退院して実家に戻ったまりりんと長電話した。

近いうちに一緒にランチできればいいな~

「勝手にアウトドア」に

瑞垣山・金峰山登山その1

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2008/05/02

感情・勘定2

父が亡くなったことに伴い、しなければならないことをリストした。A4三つ折りサイズの手帳の1ページがいっぱいになった。メンドクセ!!!

ひたすら「メンドクセ」と思うのは父娘関係にもよるのだろう。決して円満な関係だったとは言い得ないのだから。

トラブルメーカーだった父が飛ばす火の粉をかぶるまいと、せいぜい逃げ回った。父がトラブルメーカーだという自覚をしていたかどうかは別として、少なくとも逃げ回っていた限りにおいて、ワタシはリアルな感情をぶつけることはなく、父がワタシの真実、胸のうちを知ることもなかったろう。

通夜、告別式の合間にムスコらが冗談めかしにアタシに言った。

「なんか、ウレシそうだね」

「そーねー、やっとひとつ仕事が終わって、セーセーって感じかな~」

ムスコは目をむいた「そーゆー言い方、ないんじゃない」。

率直な感慨をムスコに投げるべきだったのかどうかはわからないが「まあ、しょーがないよねー、そう思うのも。大変な人だったから」とムスコは返した。

「たとえば、こうしとけばよかった、とかある?」

ムスコは続けて訊ねた。

「ウン。ちゃんと文句、言っとけばよかった。きちんと向き合ってケンカするべきだった」

実はそれは、しばらく前に気づいていた。父がスカタンになり始めた時「しもたッ」と。

その時の喪失感の方が、実際に亡くなった今のそれよりもはるかに大きい。

来年、ワタシは還暦。

定めの星の暦を一巡する前哨としての父の死であるなら、その道標をしっかり見すえて次の暦に踏み出そうと思う。

山積みの処理すべき事項は母と相談しつつのことも多い。父とセットのトラブルメーカーな母とは、しっかり渡り合おうと。

いや、それですら遅きに失した観、なきにしもあらずだが…




久しぶりにまりりんに携帯した。出なかったのでメールした。

「どんなアンバイ?」

「最悪!!ゲボとゲリ」

電話で話すのはちょっとムリっぽかった。

白血球数がそこそこ戻って、抗がん剤治療を再開したのかもしれない。

シンドイんやろな~

「ガンバレよ」メールの文末にハートマーク3ケほど入れといた。

「キモ!」言うな~




「勝手にアウトドア」に

クライミング その1

http://www.asobist.com/outdoor/2008/kamurikiyama0804/01.php

クライミング その2

http://www.asobist.com/outdoor/2008/kamurikiyama0804/02/02.php

UPしとります。

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2008/05/01

感情・勘定?(整理?)

もうせんに、一足先に還暦を迎えた友がどこからか聞いてきた話を教えてくれた。

文字通り暦が一循環したということだとして、なぜめでたいとするのか。

すなわち定めの星に抗いつ翻弄されつつの暦を辛くも回りきって、それでもここに命ながらえているのなら、定めの星から解き放たれて、自らの意思で積み重ねるのが次の暦。

その新たな第1歩なのだから、鉦や太鼓で祝いもしよう。

父を送ったばかりだからなのか、ひどく疲労感が濃い。どこというわけではないが、いうなれば、ことさら「頭」が疲れている。樹枝状神経突起がすべからく寝そべってしまっていて、ものに対して反応が鈍磨していると感じる。

先週末は倦怠のあまり、片づけなければならないことが山積みだというのに、手をつける気になれず、かといって、どこか妙に興奮状態でもあるのか、ズルズルばかりしている気にもなれず、ついには庭の草引きをした。前回残した西側半分と玄関先がきれいに片付いた。

土や草の匂い、これはかなり効果的なアロマテラピー。頭の中をからっぽにして黙々と草を引く、これも効果的な作業療法といえよう。

ただし、丸々1日しゃがみっぱなしで、恐ろしく腰が痛くなった。

29日はOFF会明けで1日寝て暮らした。

30日は寝て暮らしたくはなくも、かといってなにかヤル気なく、憂鬱というのでもないが気分が浮かない。

洗濯機を回しながらコーヒーをすすっていたら、なんとなく友の「還暦話」を思い出した。

ぼんやりと「なぜ、今それを思い出したのか」考えた。

樹枝状神経突起が寝そべったままなので「なぜかな?」「なぜかな?」がグルグル回るばかりで思考が進化していかない。

そこへアマゾンから本が届いた。注文していたことさえ忘れていたが、開梱して嬉しくなった。山系、クライミング系のコミックスがどっさり!

洗濯機2回戦を回しながら、まずは「オンサイト」を読み始めた。クライミングがテーマのコミックを読み終える頃には、脳みそが明らかに振動を始めた感じがした。

2冊目「K」を読み始めたら携帯が鳴った。豆板醤。

GWの終わりに山1泊で瑞垣山・金峰山に行こう、というもの。とたんに血管の中の血液が急に動き出した気がした。

3回戦目の洗濯物を干し、アルペンコミック「K」を読み終わるころにはソワソワ。考えなければならないこと、しなければならないこと、ともかくも今日はいったん置いといて、出かけることにした。

書店で瑞垣山・金峰山に関する山岳ガイド本を求め、ついでにしなければならないことも2ケほど片づけた。

どういうわけか、明日からシャキッと行けそうな気がしてきた。





「まりりんの日々修行」はほんの少しお休みです。

白血球数が減少しているので、がんセンに入院しています。今しばらくお持ちくださいませ。




「勝手にアウトドア」に

硫黄岳登山・その2

http://www.asobist.com/outdoor/2008/ioudake0803/02.php

UPしております。

尾瀬あきら『オンサイト』【講談社】

谷口ジロー・画/遠藤史朗・作『K』【双葉社】

430

読了

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2008/04/26

ヤエも過ぐらん

080423病院の真っ隣のグラウンド。

八重も盛りを過ぎ、散り始めている。

汗ばむまでには遠く、かといって時折吹く風が思いのほか強くても肌寒いこともない。

散り落ちた無数の花びらがグラウンドの上で踊る。風が止まると、今まで吹いていた風の通り道のとおりに花びらも止まる。

缶コーヒーを片手に八重桜を眺めながら、所在無くタバコをふかした。

「ヤエも、もう終わりだな~」

その数時間後、父はみまかった。

医師の診断は23642分だが呼吸停止は6時半だった。父は心臓ペースメーカーを埋め込んでいたので、呼吸が止まった後も心電図は12分間動きを止めなかったのだ。

だんだん呼吸が間遠になってから停止までもかなり時間が経ったように思う。

「止まったかな?」と思えば、数秒して思い出したように小さく息をしたりして。

「うーん、なかなかしぶといなー」など母が言って笑ったりした。だから最後の最後のひと呼吸の後も「ほんとに終わりかな?」なんて言ったりして、シリアスなのにコミカルな、いかにも妙な時間が流れた。

通夜、告別式をバタバタと終え「ともかくも、やれやれ」以外の特別な感慨があるわけではないが、買ってきたアイスクリームを、なぜか冷蔵の方に入れてしまってたりして、つくずく「疲れてるな」と思う。

30日から1日、2日で予定していた燕岳登山は中止にしたので、5月の連休の山行きの計画を練らなければ、と思ったりする。

なんやかや、しなければならないことは恐ろしいほど山積みだが、そろそろやればいい。そう思っている。

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2008/04/06

生老病死

080406 洗濯物を干していて気がついた。

スズランスイセンが咲き出した。


てっきり消滅したと思っていたので、あてにしていない誕生日プレゼントをもらったような感じだ。


見れば、数株がこぞって数輪ずつ花をつけている。せんど世話を焼いていたころに比べれば、株が少し小さくなったし、花つきも今ひとつだが、立派に生き延びて花をつけたのだ。なんの文句もない。ただ、あっぱれ!

とすると、いよいよラッパとスノードロップの消滅は確定した模様。

草花も人も「生老病死アリ」は世の習いなのだ。

46日の午後、長男と大阪から戻った3男と日野市立病院へ父を見舞った。

転院のどころじゃないな~もう。

ああ、いよいよだな、そう実感した。

父は全身を振り絞って呼吸していた。生きるために息をしているのか、息をするために生きているのか…

42日にソーシャルワーカーと面談にでかけたんだが、面談を済ませたら、父の顔を見るのを忘れて帰ってしまった。なんと親不孝な!

だから、父の顔を見たのは326日以来ということになる。

ワタシにとっては、ただただ忙しく、あわただしく毎日に追われ、あっという間に過ぎた12日間に、父はまさしく日毎に命を削っていったのだろう。時は万人に等しく過ぎないのだ。

日野市立病院を初受診した