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2011/02/25

週毎の「ゆりかご」あるいは「山」すなわち「雪山」

今週末は赤岳主稜。バリバリの雪山バリエーションルート。

うーん!

「ゆりかご」なんて甘いもんじゃないよね。少なくとも弱体な身にとっては「ダイジョブかよッ!」なドキドキもん。

「連れて行く方がもっとドキドキだよ」

言われてもた!!!




「アラカン編集長モンブランを行く
2010」に

ヒマラヤ雑感-2

http://www.asobist.com/guest/kodama/

アップしました。

あと1本?2本?でほんとにほんとのラストですかね。

そしたら2011年シリーズ、開幕します。

乞う、ご期待!!!

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2011/02/20

諏訪の朝なう

昨日は尾白川流域でアイスクライミング。氷漠登り、マルチピッチ。

今日はこれから人口氷壁。赤岳山荘・おばちゃんキャンデー。

でも…

昨日、飲みすぎた~!!!

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2011/02/10

アイスクライミング@湯川

美しい氷柱を攀じる!
楽しかった!!!

マイ・ノーパソ持ってこなかっちゃったから、画像のアップは後ほど。
もしかしたら、本郷さんのブログにアタシがいるかもしれない。

http://alpineguide-hiroki.blog.so-net.ne.jp/

明日からいよいよ、マンツウーマントレーニング@八ヶ岳。

グゥワンバリムゥワッス~!!!

19:00~晩ご飯@諏訪

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2011/02/09

吹雪だわっほい!!!

2月8日
赤岳鉱泉入り。

2月9日
硫黄岳→天狗岳→ニュウ→渋の湯
の日程だったんだが、朝からめちゃ吹雪。

それでも行けるところまでと出発間際「昨日までのカチコチの上にドカ雪で、雪崩れる危険大」なので「行かないで下さい」と鉱泉の社長からじきじきに本郷さんに申し出があり、中止。

雪が小降りになるのを待ってキャンディー付近で岩氷登攀を意識してのアイゼンワーク、ピッケルワークの講習を受けた。

本日佐久平関前で宿泊。
明日2月9日は湯川でアイスクライミング。

2月11日は再び鉱泉入りで、
2月11日は赤岳鉱泉→ジョウゴ沢→鉱泉
2月12日は鉱泉→大同心稜→横岳→赤岳→文三郎→鉱泉
2月13日は鉱泉→南稜リッジ→赤岳→地蔵尾根鉱泉→赤岳山荘

の予定だが、どうも天気がよくないらしい。

私としては2011年の「今年も行きまっせ、モンブラン!あ、そうだ!マッターホルンも!!!」な両山行参加意思表明資格取得体力トレーニングな趣き。
いや、マジ!本郷さんとマンツーマン特訓なんだわ!!!

いやや、だからって
天気が芳しくないのを喜んでるわけじゃあ、決してありません!ってば!!ほんと!!!

今回はモバイル持ってきてないので、明日は更新しようとはおもうけれど、明後日からは帰るまで無理!!

ってなことで~

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2011/02/07

神奈川マラソン

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2月5日
10km完走!
ほんとだってば!
もっともアタシの時計だと73分かかっているので、つまりは3分タイムオーバーだけどね。
練習が思うようにいかず、5kmを何回か走り、タイムが32分。「1時間走る」を2回やったが、結局10kmは未体験のまま本番突入。

もちろん、筋痛です!!!

*写真「a」のあそびすとTシャツを着ているのがスタッフの伸ちゃん。その右が伸ちゃんのラン友。私の左がいつもお世話になっている整体の先生。その左が、整体の先生のテニス友。

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2月5日の晩ご飯
伸ちゃんの従姉妹さんご夫婦のお店で。

なんとも美しいフォルム!さよりの握り。
後ろに見えているネタケースの握りのすぐ後ろがこはだ。その左がさより。素材もキレイだったが、寿司になって一段と美しい。
お味は、それはもう言うまでもない。
他のものも全て、とびっきりに美しくて旨かった。

旨いものは美しい!!!

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2011/02/03

クライミング@Thailand-4

1月24日
帰国の途につく日とあって、早朝クライミングにでかけた。といっても、暗いんじゃ登れないから6:30出発。
なんだけど…
前の晩飲み過ぎて寝坊。7時に慌てて独りで岩場に向かった。

22日の午後にも行った壁。ワクワク!
同じエリアのその奥にこそ、タイクライミングに誘った、言えば最もシンボリックな奇岩ルートがあるとは22日に見届けてあった。ぜひ登りたい!

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全く、「どうやって出来上がったか?!」なおどろおどろしき奇怪な岩だ。太古の昔海底に堆積されたサンゴなどの石灰質層が地殻変動で隆起した。雨風に当たり、あるいは風化浸食し、あるいは鍾乳石のようにわずかずつ下方へ雫落して、かような奇怪な石柱に育った、とか。ものすごい地球の営みの跡なんだろう。
*写真は飯島さん

9時過ぎに上がって朝食を摂り、荷物をまとめてフロントへ預け、お楽しみシーカヤックに出かける。

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カヤックが「沈」した時、着込んでいたのでは危ないってんで半袖、半ズボン。いやいや、それが災いでしたわ。海に出ると風が心地よくて、さほどとは思わなかったんだが、たった1時間のしきりだったのにメチャメチャ日焼けした。

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浸食岩壁の間を縫ってカヌーを漕ぐ。

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小さな島といえど、恐らく端から端まで100m近いんじゃないかと推す。迫力の浸食層。上から岩柱が垂れ下がっている。まるで溶け出した蝋燭のよう。

クラビ空港を経てバンコクから成田着が、日付が代わった1月25日の早朝6:15。
どういうわけか、もう20、30分で着陸ぐらいから連続クシャミで、おまけに鼻水ズルズル。

身体は正直なんだね~
それもそのはず、なんと成田の気温はマイナス5度。
1週間経った今日も、脱いでもなお、半袖白T着て、白ズロース着てるみたい!
そろそろカユイタになってきていて、寝てて無意識にボリボリやるらしく、起きると向う脛がヒリヒリ!皮もむけてきたし!!

まだ気温差40度以上のショックから体が立ち直っていない感じ。
滅多やたらに寒さが身にしみて、恐ろしく肩が凝って常に頭も重い。乾燥が粘膜を痛め、喉がヒリヒリ、鼻がムズムズ、カサカサ。
なんかヤナ感じのチリメンさんが頬骨のあたりに…

Oh! No!!
THAI SHOCK!!!

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2011/02/01

クライミング@Thailand-3

1月23日
小さな入り江・TonsaiBayの海岸ぺりの岩場。取り付き地点から海水面まで6、7mぐらいか?!TonsaiエリアはRilayBeachきっての人気のクライミングエリア。

一帯でリゾートライフをノンビリ楽しんでいる家族連れが目立つ。やり取りに耳を傾けると、中には耳慣れない言語が多く交わされていて、お国柄が判別できない。訊いてみるとスウェーデンからだという家族連れも。極寒のスカンジナビア半島から南下してきたというわけだ。納得。

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クライマーも海外からの家族連れ、カップルが 目立つ。クライマーとビレイヤー、上と下のやり取りも英、独、伊&???などなどイロイロ様々。
*写真手前は飯島さん

壁の中央、赤パンツのクライマーは英語圏の恐らく10歳にはなってない感じの男の子。恐れ入る。ビレイヤーはママ。パパも下からアドバイス。

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壁のすぐ前の海岸。手前の男の子はもうすぐ4歳の本郷ジュニア。女の子は壁上で奮闘中の男の子の妹。

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写真はMさん。私より3歳ほどお姉さま。歩くのは段ちに早く、クライミングもスルスル。何よりもビックリはふくらはぎ。力が入ると明らかにひらめ筋だのがグリグリッと持ち上がる。

そうそう、上半身ほとんどネイキドなクライマーらも、腹筋はもとより、広背筋やら上腕三頭筋、大腿二頭筋だの下腿三頭筋だの名だたる筋肉のオンパレード。見ていても美しい。

なので…
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ワタクシ、とてもじゃないが脱げません。脱いだらスゴイんだけどさ。何がって、何ですよそりゃ。

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ここまでは何とかいけたんだがねー。上まで行ったのは少ないなー。
体重減らして、筋肉つけて。先は長い。

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如何にもな南国の夕暮れ!スワンダホ!!!

……………………………………
1月30日
母の顔を見にいった。次男とその娘2人、長男のヨメさんとその息子2人も一緒に。

「ケンタロウだよ」
言われると思い出すようだった。

「アイリちゃんとトモミちゃんだ」
「エライねー、ちゃんと覚えてて!」

まだもうちょっと壊れていなかった暮れの30日に顔を見せて、母は自分でもそれをノートに書つけたからか、辛うじて記憶が細々つながっているらしい。数秒後にはまた「はて?」でもあったりするが。

「タカユキの息子だよ。こっちはヨメさん」
何度言っても理解にたどり着けないようだ。もう新しいことを記憶したり、頭の中で再び組み立てたりは困難になってしまった。

「難しいなー」
くり返し言う。

なんども同じ説明をして聴かせてたら
「ヒロユキはワタシのムスコかな?」
「ちゃう、ちゃう!アタシの亭主!!」

大分違うようだが、こっちが言いもしない名前が出てきただけでもスゴイ。
心配になって訊いてみた。
「アタシの名前はわかるよねー?」
「アキコちゃん」
「ピン!ポン!!」

母がどんどん壊れていく。なぜこうもショックなんだろう?暮れからこっちずっと考え続けていた。疎遠な母娘。寄ると触ると罵詈雑言のやりとり。それが嫌で、なるだけ接触しないように、母が来るだの来いだの言ってきても、何かしらこじつけて「拒否」してきた。言いたい放題言って、それに言い返したワタシが自らの言動にズタズタになって、回復にしこたま時間がかかって往生していても、1週間、ひと月の後に、何事もなかったかのように電話してきたりする。この間言った悪態と同じ口で、よくもまあ、ケロッとそんなことが言えるもんだと疲労感が募った。
母の存在は疎ましくはあっても、決して懐かしいとか愛しいとかとは、縁遠いものだった。そう思いたい気持ちが山々であるほどに、自らが惨めだった。

だから、母が壊れていく。母の命が消えようとしている。その状況を前にして、こんなにも自分が動揺するとは予想だにしなかったのだ。

背中をビョウビョウと風が渡る。血脈のどん尻に独り立ち、後ろはもう誰もいない。とてつもない存在の孤独感なのだと思い当たった。
ワタシと断崖絶壁との間に母は立っていたのだ。悪態をつこうが、罵詈雑言の投げつけ合いをしようが、母は血脈の断崖絶壁を背にして立っていたのだ。母がどうあろうとも、その存在だけでワタシは護られていたのだった。
なんと有難いことだったか!

昨年10月20日に脚立から転倒して頭蓋骨骨折、硬膜下血腫の後、母は急激に壊れていった。壊れ始めると同時に、あの攻撃性が見る間に消失していった。それはにわかには信じ難いほどの変貌だった。

壊れた母をホームに入居させようと奔走した。年の瀬に、それは大変な思いだった。
が、今になって思う。怪我をして救急搬送され、硬膜下血腫がどんどん広がり、母がそのまま他界してしまっていたら、どうだったろう?

互いに「死んでしまえ!」など言い争い、無理難題をふっかけられるのではないかと畏怖する関係のまま母が逝ってしまったら、面倒な存在が消えてなくなったことでワタシは真実ホッと胸をなでおろすのだろうか?もう自らの存在を脅かしたり、害を与えられることがなくなったことに安堵するのだろうか?

そう、つい昨日の昨日まで、母がフツウにしている時は、てっきりそうなる自分しか想像していなかった。実際、父の時も、誰が誰だかわからなくなっていく過程で「ああ、もっとケンカしとけばよかった」という喪失感はあったものの、亡くなった時はむしろ安堵感が先に立った。

しかしながら、よしんば、安堵したとして、母という存在にそのようにしか対峙できない惨めさや、どこかうっすら寒いような飢餓感は拭えはしないだろうということを、痛いほどに知り尽くしている。

どこか少し不安げで、ボンヤリではあるが、穏やかな表情の母を見ていると、もしかしたら、母は最期に贈り物をしてくれたのではないかと思えてくる。壊れていく様を広げて見せることで、許しと愛を、そのような心模様に至れた幸福を差し出してくれたのではないかと。

どんなことにも意味はある。改めてつくずくそう思う。

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